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アスレチックコミュニティ蹉跎・伊加賀 永山宜真

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アスレチックコミュニティ蹉跎・伊加賀の永山宜真氏へインタビュー

サッカークラブを地域コミュニティとして運営

アスレチックコミュニティ蹉跎・伊加賀の永山宜真さん

――自己紹介をお願いします。

アスレチックコミュニティ蹉跎・伊加賀(さだ・いかが)代表理事の永山宜真(ながやま ぎしん)です。

蹉跎・伊加賀というのは、蹉跎地域・伊加賀地域という、枚方市の京阪電車光善寺駅周辺の地域名です。その地域を対象に、アスレチックコミュニティという地域コミュニティをやっています。

保護者会から引き継いでクラブを運営

――経営者になってからどれぐらいですか。

2013年に始めたので、まだ1年です。その前に法人の基になる、T・フジタSC枚方というサッカーチームがあったので、その経営を始めたのは5年前ぐらいですかね。合わせると6年目ぐらいです。

もともと自分が育ったサッカークラブに戻ってきて始めたんです。もともと保護者会というのがあるんですけど、保護者がやっている運営をこっちにやらせてくださいというのでやり始めたというのが経営のスタートです。

経営してるというイメージはなかったです。とりあえず「こっちでやるから」というスタートです。

保護者会は権力を持ちたいんです。僕はそれが分かったのでそれを潰したんです。その時はメチャクチャ言われましたよ。

保護者会は、昔はコーチのためにというのがあったんですけど、今はそんな感じじゃなかったんです。給料も安かったし、それでは絶対一生食べていけないというのがありました。

運営を親がやっていたので「仕事みたいな感じになっちゃうので大変だろうから、僕らが引き受けて僕らが全部やります」というので運営を始めた感じです。

サッカープロを目指してドイツに留学

――前職は何をしていましたか。

サッカープロを目指していました。大学へは行かず、今いるクラブを卒業して1年後にはドイツに留学しました。2年の間で日本とドイツを行ったり来たりを繰り返していました。

向こうのリーグ戦の4部に参加していました。JリーグだとJ1、J2、J3、JFLとあるんですけど、このJFLぐらいのところに入っていたことになります。

週1回試合で、練習は週4回ぐらいでした。バイトもしながらという感じです。

アルバイトはいっぱいしましたよ。日本にいる時は、高校の時からしていた新聞配達と他のバイトを掛け持ちしていました。向こうでは日本のスーパーみたいなところで働きました。日本人の女社長がやっていましたね。

自分の体作りから子供目線に変化―選手から指導者への転機

――会社の経営をするようになった経緯は?

現役の時、身体のトレーニングを始めたんです。

高3の時ですけど、腰痛と膝の痛みがどこの病院にいっても治せなくて、ある鍼灸院に行ったら治してもらえたんです。その時に立ち方、歩き方、走り方、ステップの踏み方、ボールの蹴り方、そういうところも全部改善していったんです。

それからサッカーで怪我がほとんどなくなって、高校卒業後もトレーニングしながら、バレエのトレーニングも取り入れていきました。そのバレエの先生には今のクラブに入ってもらっています。

スポーツ全般、ボール扱いも大事だけど、身体というのがすごく大事なんです。

ボールを扱うのも身体だから、その身体をちゃんと作らないとダメというのがあって、その身体作りというのを、現役をやりながらドイツから日本に戻ってきた時に、子供達に教えていました。

教えながら、サッカーの選手から指導者になるという転機がありました。

いつものようにトレーナーのところでトレーニングをしていて、「子供にこういうことをやらせたらどうなると思いますか」という質問をしたんです。

その時に自分の中で、今までは「自分はどうしたらいいですか」という質問をしていたのが、子供に対してという指導者目線に変わってきているなと感じました。

その時21歳ぐらいです。自分がやるよりは、10代前半とか10歳未満の子供達の身体を指導していった方が可能性があるなと思ったので、そっちにシフトしたという感じです。

その時にバレエの先生に来てもらうようにして、1年後にはカポエイラとダンスの先生をたまたま知っていたので、やってもらうことになりました。

それが、現在の法人の基礎となっていきました。

地域をつなげる役目のアスレチックコミュニティを目指す

――そのクラブでバイトしていた時ということですよね。

そうです。その時はほとんどナンバー2だったんです。それでどんどんクラブに入れていき始めました。

僕が行っていたドイツというのは、戦争後に総合型地域スポーツでスポーツを発展させていった国なんです。

地域、例えば駅に1つ、体育館、グラウンド、テニスコート、プール、トラック、カフェとかがある施設があり、みんながそこに集まっていろんな競技をする憩いの場としています。

総合型地域スポーツで発展したドイツに対して、日本は学校体育で発展しています。

そのことを知って僕の中でずっとあったのは、学校って勉強をしに行くところなのに、クラブは先生が教えていたりして「一体どっちなんだ」ということでした。

でもドイツは学校は学校、勉強は勉強、クラブは町のクラブで、だから学校という組織ではなく地域という総合型地域スポーツなので、それが何となく自分のイメージにはありました。

会社経営というところでいうと、地域の人達がつながりがなかったんですよね。サッカーはサッカー、野球は野球という感じで、何か違うなと思いました。

昔は近所のおじちゃんおばちゃんとかも、悪いことをしたら声をかけてくれたり、朝会ったら挨拶してくれたり、地域の人達がみんな知り合いみたいな状況でした。

でも今はサッカーの子、野球の子、例えばうちはフジタというチームなんですけど、学校の子にも関わらず、学校側からは「フジタの子は」と言われるんです。

そういうのにずっと疑問を感じていて、これってそうじゃなくて、本来はどこの子であっても蹉跎・伊加賀という地域の子達であればみんなで見るというのが、昔は当たり前だったんです。

地域をつなげるために

――だから地域の名前を入れているんですね。

そうです。地域をつなげるという構想があって、別にサッカーチームだけでも良かったんですけど、サッカーチームというのじゃなくて、地域のクラブというふうにした方がいいなと思ったんです。

ずっとその構想を持ちながら色々な活動が増えてきたので、じゃあちょっとアスレチックコミュニティ蹉跎・伊加賀という形で作ろうと。運動のコミュニティという感じですね。

アスレチックというのは運動なので、運動のコミュニティとしてみんなが集まる場所で、サッカーがその軸になっているという集まりを作ろうというので、今動いていっているところです。

野球はまだすごい派閥があるので、トップの人と上手くコンタクトを取って、「こういうことをできたらいいよね」というのを話している段階です。

あとは夏に学校の夏祭りってあるじゃないですか。それに出てみたりしています。ダンスとカポエイラとサッカーを披露しています。ちょっとバレエはできないですけど(笑)。

うちのサッカーチームのチーム活動は、試合をする子達としない子達と2つに分けていて、これは昔は上手い下手で分けていたんです。

けど、僕らのクラブは違っていて、上を目指している子は「チーム」、週1回の遊びでいいという子は「スクール」という感じで分けています。

スクールは、公園でサッカーしていたりすると色々制限があるので、それだったら安全な小学校にそういうスクールを作ってそこでやるという感じです。

他のクラブだとあまりそういうものがないので、あえて作りました。それで会員数もすごく増えたり、チームの子の質も上がったりすることがあります。

まだチームとしての結果は出ていないですけど、選手としては今までに比べると質が高いですね。

T・フジタSC枚方では子供1人1人と密に関わるために人数を制限しています

本気で密に関わっているから厳しいことも言える

――選手はどこかから引っ張ってくるんですか。

中学に関してはセレクションなどありますが、入りたい子だけです。

その理由も、誰でも受け入れるのではなくて、自分達はその子のことを見たいというのと、向こうは入りたいというのが合致した選手の方が、お互いが責任を持てるじゃないですか。

誰でも受け入れるとなって30人ぐらいになったらコミュニケーションが取れないので、中学生は14人ぐらいで考えています。

他のクラブだと一学年で30人とか40人います。それだと絶対コミュニケーションが取れないです。

でもそれが当たり前で、それが無いと収入がないんです。だからうちのクラブは収入は大変です。でもそれだけこだわってやるということを決めてやっています。

他のクラブは収入はすごく多いでしょうけど、全員コミュニケーションが取れているかというと取れていなかったりすると思います。

こだわって、身体のこと、考え方、一人一人とちゃんと密になって関わるようにしています。

小学校からいる子でレギュラーじゃない子は、「入りたい」「上に上がりたい」という子は全部受け入れるという形を取っています。

その代わり「試合に出られないよ、それでも上がる?」とか、全部事実を伝えています。

3年間頑張れば、高校生チームもあるので、その時にまた開花することもあるし、3年間頑張ることで色々あるよというのも言いますし、全然合っていない時は「絶対上がらない方がいい」というのもはっきり言います。

それは本気で密に関わっているからできるコミュニケーションです。やはり子供の環境を変えたいというのが、一番の思いとしてありました。

サッカー以外にカポエイラ、ダンス、バレエを取り入れ子供の可能性を拡げる

身体作りが1つの目的

――どんな環境になればいいですか。

可能性ですね。子供の可能性を拡げるということです。

なぜカポエイラ、ダンス、バレエを始めたかというと、バレエに関しては身体づくりのためです。

カポエイラはブラジルの国技で、日本で言う空手みたいなものです。もともと体幹作りのために逆立ちで歩かせたかったんです。

それを考えていた時に、たまたま兄貴の知り合いがカポエイラをやっていると聞いて、カポエイラだったら逆立ちができるんじゃないかということで、その日すぐに会わせてもらって話をしました。

そしたら逆立ちで歩くのはカポエイラだったら当たり前ということだったので、じゃあやりますという感じでした(笑)。

ブラジル人のほとんどが、カポエイラをやっている。サッカーでも有名な選手達もやっていて、身のこなしなどは、サッカーにも活きる動作が多いです。

サッカー以外のことを知らせ、自分がやりたいことを追及できる子に

それともう1つの理由は、サッカーしか知らない子が多いということです。中学校でも小学校でも、サッカーしか知らない子って可哀想だなと思ったんです。

フジタは昔は全国大会の常連チームだったので、僕なんかは本当にサッカーしか知らなかったんです。

それでいろんな遊びも全然知らないまま育ちました。いろんな遊びを知っててサッカーもやるという子もいるでしょうけど、そうじゃない子が多いと思ったんです。

日本は夫婦共働きが多く、外に連れて行ってもらえないとか色々あるのかなと思って、じゃあ僕らがそういう場を提供して子供の可能性を拡げようと思いました。

子供がカポエイラやダンスをやって自信を付けてとか、サッカーが上手い子でもカポエイラやダンスをやらせたら全然ダメとか、逆にダンスとカポエイラはすごいけどサッカーはダメな子もいるかも知れない。

それを子供達自身が知ることで、自分にこういう可能性があるんだ、だったらこれをやってみようかな、という場を与えたいと思ったんです。そこが原点ですね。

初めに出会ったものがサッカーしかなかったからとかじゃなくて、いろんなものに出会って、いろんな可能性があるんだと気付いて、「選ぶ」ということをさせたかったんです。

去年の11月にカンボジアに行って思ったのは、日本人はすごく贅沢だということです。なぜかと言うと「選択」できるからです。カンボジアの子は選べないんです。

でも逆に、選べるからこそ、日本人は悩んで自殺してしまったりする。悩んでしまう理由は何かというと、小さい頃から自分が何をしたいかというのを追及してこなかったから、そういうふうになってしまうわけです。

小さい時から「選ぶ」ということをしていって、自分が本当にやりたいことに力を注ぐということをやってほしいというのがあります。

今のクラブを経営してサッカーしか知らなかった自分にも可能性が広がった

――今の仕事をしていて良かったこと、嬉しかったことは?

自分にも可能性が広がったということですね。

例えば今、助産師さんと「いのちのはなし」というのをやっています。子供を変えるためには大人を変えないとダメというのが自分の中にあって、最近それがつながった気がします。

大人を変えるというのは、妊婦さんを変えていく、産婦人科と助産院のあり方を変えるということが大事なんです。

子供が変わる何かを見られたからこそ、やっていて良かったなと思います。サッカーの指導しかやってなかったら、目の前のものしか見ていなくて、広く見られてなかっただろうなという気がします。

無意識に子供のことを考える

――今の仕事をする上で必要な心構えは?

無意識なんですけど、常に子供というのがありますよね。

誰と話をしている時でも、何かセミナーに行った時でも、新しいものを得た時に、「これを子供達がやったらどうなるかな」とか「子供達がこれをやったら可能性が広がるかな」という感じですね。

全て何をするにも子供にリンクさせてるということが多いです。今やってる活動も全部子供にリンクできてるので、子供に必要なものというか、それが心構えというか、意識していることですかね。

何でも結局子供につなげている自分がいるんです。子供に対してそうじゃないことに対して違和感があったり、子供の教育のことを言う人がいたりしても、ちょっと自分と違ったりすると、クエスチョンが出てきたりします。

そこは結構敏感で、そのセンサーは鋭いので、すごく選ぶというのはありますね。それは多分自分の意識の中に落ちているんじゃないでしょうか。

結果が出なかったことが辛かった

――仕事で辛かったことはありますか。

サッカーで結果が出なかったのは辛かったですね。いろんなことをやっていても、サッカーメインでやっていて、結果が出ないのは辛いですよね。

でも1回結果は出たんです。といっても小学生チームが大阪4位ですけど。

会社になる前なんですけど、それまでもずっと「結果じゃなくて内容だ」と言っていたんです。でも周りからすると結果が残っていないから色々言われるわけです。

一応大阪を代表するような選手も出したりしていたんですけど、やっぱり結果が出ていないと。

強くない学年だったので、ある時こちらから指示して「こうしなさい」とやらせたんです。それまでは全部細かく「こう動きなさい」というのがあまりなかったんですけど、初めてそういうやり方でやったんです。

でも「負けてもいいよ」というスタンスでやっていたんですけど、あれよあれよと勝っていって、過去最弱チームがベスト4まで行って、あり得ないという感じでした。
その時に改めて、結果よりも大事なことがあるとも感じました。

結果が出るまでは辛かったです。

スポーツコミュニティ経営の苦労―繋がれない子供達と本気でぶつかり合い

――なぜベスト4まで行けたのでしょうか。

やはり選手たちが頑張ったということです。それと、僕が言った戦術がはまった感じです。 

それをやる前は結構大変で、結果が出ないということを言われていたので、結果じゃないんだよと思っていたんですけど、負けず嫌いなので結果を求めている自分もいたりして、そこのモヤモヤは結構ありましたね。

自分の中では結果じゃないというのがあって、リラックスしてできたというか、その学年は弱いというのがあったので、でもやはり勝たせるために自分の戦術をあえて形ではめたという感じですね。

それで結果が出てから、何も残っていないのが分かったので、今はもうやっていないです。

スタッフにも「結果が残っても本当に何も残らない。子供らの自信にはなるかも知れないけど、それは過信に変わることがあるから、大事なことは育成することだ」と言いました。

「結果を求めるのは子供達だから、子供達が求めてることに対して同じ意識でやることは大事だけど」と言いましたね。

自分達でマネージメントできる子供達を

――勝った時に残ったものは良いものではなかったんですか。

その時は良かったんですけど、僕の中ではあまり何も残らなかったですね。

その子たちは今もう中3なんです。その子たちとその親とかを見ていると、何か勘違いがすごくあるというか、特に親なんかは中学になってから「あの子らは大阪でベスト4になった学年だから」というのがあったりします。

だから目に見えるものを残すことによって勘違いが起きるというのも経験しました。それが3年経って分かることということです。

それはやはり指導者による指導の質に問題があるので、そういうふうに思いながらも選手を育てて、もう1回同じような結果を出せるぐらいにすれば良かったんですけど。

――どういう状態でいい結果を残したらいいですか。

子供達が自分達でやる感じですね。

指導者がどうこうじゃなくて、メインの指導者が会場に居なくても、子供達で全部マネージメントして、ああだこうだとやって、ベンチの子達も外から見て相手のことを分析してやるぐらいにしてほしいです。

それが中学3年の年代でできればいいと思います。

子供と繋がれなかった時期

――そういう形に持っていこうとしてるんですか。

今はそうですね。だから「オンリーワンスクール」「楽読」「心美力」などのメソッドを入れています。身体に関しても、自分で身体のセルフケアをさせています。

僕がもう一つ辛かったのは、子供達と繋がれなかったことです。今の高校1年生が中2の冬ぐらいで、ちょうどその子達がメインになる時期なわけです。その時に2人の選手から「監督を変えてくれ」と言われたんです。

その子達は一番ぶつかっている子達だったんですけど、それは結構辛かったです。その子達が間違っていたという部分もあるし、逆にその子達が言ったからこそ僕が変わろうとしたというのもあります。

その時もがいていたんです。結果が残らない、自分の指導スタイルに対してもあまり良いように思っていない。結構厳しく言う方だったので、だからそれがあまりしっくりきていない状態だったんです。

「いのちのはなし」は転機でした。生まれた時はみんな可愛い可愛いでやっていて、いつの間にかうまくいかない現状にイライラし始めて、というのが見えたので、それと出会えたこともすごく変わるきっかけでした。

その子達は今、高校に上がってうちのチームにいます。親の勝手で続けられなかった子もいれば、勘違いというのもあったりで辞めた子もいますけど、メインの子はほとんど上がりました。

スタッフは上がらないだろうと言っていたんですけど、僕1人だけが上がると思っていました。

喋ったりもします。今になって僕のありがたさが分かるって言っていますよ。「やろ?」って本気でぶつかっていたので、あの関わりは別に悪くなかったなと思います。

四魂の窓というのがあって、人の個性は勇、愛、智、親という4つから成り立つというので、人それぞれ捉え方が違うよという話は伝えやすいので、それを今入れていこうとしている感じですね。

今スタッフもそれを感じてきているので、それが伝わることでコミュニケーションの仕方が違ってきたり、何かきついことを言ったりしてもその人のことを思って言っているのが伝わったりすると思います。

個性ある子供づくりのモデルとなるクラブ運営を目指しています

――経営理念をお聞かせください。

目指していることは、「個性あふれる生き生きした子供達が日本を元気にする」ということです。

今の子供達は個性がないので、個性を持った子達を育てます。

運動できる子もいればできない子もいるだろうし、面白い子もいれば冷静な子もいるという、その個性はそれぞれでいいと思うんです。

個性を持っている、自分を出せるという生き生きした子供をまずうちのクラブで育て、モデルとしてコミュニティを作って、日本各地にうちみたいなクラブをどんどん増やしていきたいです。

今、それこそ各駅に1チームあるぐらい、サッカーチームがすごく多いんです。うちがまずモデルとして作って、そのモデルから作ったものを同じような形でやりませんかと、各地域のサッカーチームに持っていく感じですね。

子供の記憶に残る指導者

――教えている子供たちに言われて嬉しかった言葉は?

僕が直接聞いたんじゃなくて保護者から言われたんですけど、その子が言ったのが「コーチの中ではやっぱり永山コーチかな」みたいなことを言ったそうです。

僕の中では、子供達はみんな僕のことを怖がっているというイメージで、親もそういうイメージを持っています。

親は客観的に見てそういうふうに見てしまうから、親がそういうふうに言っちゃうから子供との関係ができなかったりする家もあったんです。

でもその時に言われたのが、やっぱり信用できるのは永山コーチかなみたいな、最終的に頼るとしたら永山コーチだなと子供が言ったというのを親から聞いた時には、伝わっているんだなと思いましたね。

今は分からないと思うんですよね。大人になっていって分かるという感じですかね。

今の大学1年生の子とかでも、大学生になる時に会って話したら、永山コーチの言っていることが今になって分かるという感じのことを言われると、そうなんだなと思います。

――記憶に残れる人っていいですね。学校の先生でも印象に残る人とそうじゃない人がいますからね。

僕の中でも結構忘れるんですよ。小学校のサッカーの恩師も、良い部分もあれば、言われて今になって分かるというか、そういう人はいっぱいいるかなと思います。

いろんな大人からのいろんな言葉を僕は覚えているんですけど、その時に気付く子もいれば、大人にならないと分からない子もいますよね。でもやっぱり気付くようにしてあげたいなというのは思います。

起業しても初心を忘れず、問題にぶつかったら原点に返る気持ちを

――今の仕事で誇りに思うことは?

本気で子供の未来を変えようとしていることです。

サッカーの指導者で多く見るのは、サッカーしか見ていなくて、人間を育てていると言いながら全然他のことをやっていなかったりする人達もすごく多いんです。

でもうちのクラブは、スタッフ全員含めてそういうことをやっているなと思います。

他のクラブだったら、学校のクラブだと部員数が50人100人いたりします。

学校のクラブの場合は仕方がないですけど、町のクラブという習い事の1つという現状がある中で、うちのクラブは、経営的にちょっと苦しくなっても人数制限をして、本気でその子達と関わるということをしているところが誇りです。

「何のためにするのか」を常に考えて

――これから起業しようと思っている方へのメッセージをお願いします。

「初心忘れるべからず」ですかね。みんな最初は思いを持って始めていて、でもいつの間にか売り上げが上がってくると経営のところに走ったりというところがあると思うのですが、「人として」というところは大事かなと思います。

今、僕もそれに直面していますからね(笑)。

でも絶対何か問題は起きると思うので、やろうとした時の「初心に帰る」というのは何をするにも大事で、例えば何か事業をする時に、なぜその事業をやるのかというところが大事だと思います。

常に求道心を持ち続けられる仕事を

――今就職活動中の方に向けてメッセージをお願いします。

「求道心」を持って仕事ができるかということですね。自分がやりたいことを求め続けて、結果が出なくてもやり続けるということです。

結局みんな途中で諦めたりするんですが、自己判断できるんだったら、やりたいと思うことをとことんやり続けることだと思います。それが「志事(しごと)」になればいいんだと思います。

みんな志すことができないので、伝えることがなければすぐに辞めちゃうだろうし、辞めても困らないだろうし、また別の新しいことを探せばいいので、自分が本当に何をしたいのかを求めてやり続けられるような仕事に就いてほしいです。

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